主な関連作品

自然災害を取り上げた作品

『海の壁』

昭和45年 中公新書

『三陸海岸大津波』

昭和59年 中公文庫平成16年 文春文庫

明治29年、昭和8年、昭和35年に三陸沿岸を襲った津波の実態を記した作品。初め「海の壁」のタイトルで刊行し、後に「三陸海岸大津波」と改題した。田野畑村(岩手県下閉伊郡)で村民から聞いた生々しい津波の話に強い関心を持ち、また、三陸沿岸で目にする防潮堤に触発されたことから、三陸沿岸を旅して、体験者に取材するとともに、資料を収集し、調査して執筆した。

『関東大震災』

昭和48年 文藝春秋

日暮里で関東大震災を体験した両親の話から、未曽有の災害が生み出した人心の混乱に戦慄し、災害時の人間に対する畏怖を感じた。そのことが執筆の動機となり、生存者の証言を収集し、膨大な文献資料を調査。地震被害の実状と人心の混乱が生んだ社会事件を克明に描き出した。

嘉永7年 安政東海地震

『落日の宴 勘定奉行川路聖謨』

平成8年 講談社

安政元年の日露和親条約締結にあたり、ロシアのプチャーチンとの厳しい交渉に挑んだ幕臣川路聖謨の姿を描いた長篇。安政東海地震は、下田で第1回日露交渉が行われた翌朝に発生。津波に襲われたロシア使節の乗船ディアナ号は損傷し、船員の死者、負傷者も出た。災害による混乱の中で日露交渉を進める過程を記している。

昭和19年 昭和東南海地震

『零式戦闘機』

昭和43年 新潮社

零式艦上戦闘機の開発から戦場での悲運までをたどり、日本が行った戦争の姿を追究した長篇。作品の終盤で、終戦の8カ月前に発生した昭和東南海地震を描いた。零式艦上戦闘機を製造した三菱重工業名古屋航空機製作所の惨状や、女子挺身隊、勤労学徒を含む従業員の凄惨な死を記した。

平成7年 阪神淡路大震災

『わたしの取材余話』

(「歴史はくり返す」収録)

平成22年 河出書房新社

「歴史はくり返す」は、阪神淡路大震災発生から2か月後に執筆した随筆。関東大震災の教訓を、阪神淡路大震災に照らし合わせ、関東大震災の火災被害の要因や、避難時における教訓を記し、警鐘を鳴らした。

平成16年 新潟中越地震

『ひとり旅』(「被災地の錦鯉」収録)

平成19年 文藝春秋

新潟県の越後湯沢に仕事場を持っていた吉村が、新潟中越地震発生の2日前に書いた随筆を振り返り、錦鯉への愛着を記す。テレビで、錦鯉の産出地である被災地、山古志村の立派な錦鯉が息絶えた姿を見て、地震の恐ろしさが身にしみたと記す。

田野畑村を訪れたことで生まれた小説・随筆など

【小説】

『星への旅』

昭和41年 筑摩書房

短篇集。「星への旅」は田野畑村(岩手県下閉伊郡)の鵜の巣断崖を訪れて構想した作品。平穏な日常の倦怠から死に惹かれて旅をする若者たちが、断崖から身を投げる顛末を三陸海岸の情景の中に綴った。第2回太宰治賞受賞作。

『海の奇蹟』

昭和43年 文藝春秋

短篇集。「海の奇蹟」は、ある漁村で発見された水死体にまつわる特殊な体験を描いた作品。村の情景として、田野畑村の漁場や険しい海岸線、海面の色や漁火などを描いた。

『幕府軍艦「回天」始末』

平成2年 文藝春秋

歴史小説。戊辰戦争で、旧幕府軍が、新政府軍の艦隊を奇襲した宮古湾海戦を描いた。敗走した幕府軍艦「高雄」が田野畑村の海岸に座礁した事実を知り、調査を始めた。

『法師蟬』(「海猫」収録)

平成5年 新潮社

短篇集。「海猫」は、定年退職後、妻から疎まれ、家庭の居場所を感じられず、家出した男の心情を記した短篇。男が滞在する北国の漁村として、田野畑村の光景を描いた。

『遠い幻影』(「梅の蕾」収録)

平成10年 文藝春秋

短篇集。「梅の蕾」は、無医村だった田野畑村が舞台。村に赴任した医師と妻子、村民との間に生まれた深い心の結びつきを描いた作品。親交があった田野畑村の医師、将基面誠氏の実話を基に創作した。

『見えない橋』(「漁火」収録)

平成14年 文藝春秋

短篇集。「漁火」は、田野畑村の断崖の根に、「激浪が飛沫を散らす」海の光景から構想した。年に数回、崖からの投身事故がある村を舞台に、消防団の分団長を務める男と、息子を探して村に来た夫婦の姿を描いた作品。

【自伝・随筆】

『私の文学漂流』

平成4年 新潮社

自伝。「第十三章 妻の受賞」、「第十四章 『星への旅』と『戦艦武蔵』」、「第十五章 太宰治賞」で、田野畑村を訪れたことで「星への旅」を執筆し、太宰治賞を受賞するまでを綴る。

『ひとり旅』

平成19年 文藝春秋

「高さ50メートル 三陸大津波」収録。田野畑村で聞いた津波の話と、田野畑村のホテル羅賀荘で行った講演会を振り返る。明治29年の津波の体験者、中村丹蔵の証言「高さ50メートル」の津波が来襲した事実を話した際、聴衆は「海におびえた眼をむけ」たと記す。

『七十五度目の長崎行き』

平成21年 河出書房新社

「陸中海岸の明暗」収録。岩泉から田野畑村の島越、北山崎、黒崎、久慈、蕪島へとたどる旅を綴った。津波の事実にふれながら、美しい各地の光景と人びとの姿、産物の魅力などを記す。

『わたしの取材余話』

平成22年 河出書房新社

「小説の舞台としての岩手県」収録。田野畑村の名誉村民となったことを機に、田野畑村を舞台に描いた作品や、小説のための調査の旅を振り返った随筆。

『味を訪ねて』(改題『味を追う旅』)

平成22年 河出書房新社

「美しき村に家族と遊ぶ」収録。毎年、夏になると家族を伴い訪れた田野畑村の魅力を語る。「雄大な断崖美」と海の景観、好んで食した海の幸や馬鈴薯、牛乳などの産物、温かい心をもつ村人の姿を語る。

『履歴書代わりに』

平成23年 河出書房新社

「牛を持つ」収録。田野畑村の乳牛のオーナーになった経緯を語る。村の牛乳の格別の美味しさにもふれながら、自らの名を持つ乳牛が、村に存在していることに「気持がはずむ」と記す。

関東大震災に関する主な小説・随筆・対談

『精神的季節』

(改題『月夜の記憶』)

昭和47年 講談社

「スイトン家族」収録。吉村の両親は、日暮里で関東大震災を体験した。食料が欠乏し、スイトンを食べた経験から、毎年9月1日の夕食をスイトンと決め、幼い吉村に、大震災の体験を語った。この習慣を、結婚後も受け継ぎ、家族で実践していることを、季節の行事や記念日を大切にする自身の思いとともに記す。

『一家の主』

昭和49年 毎日新聞社

生活と創作を基盤に、日常の楽しみや、喜び、悲しみや怒りなど、日々の生活を綴った自伝的長篇小説。「引越しのこと」では、9月1日にスイトンを食べる家庭の様子を描く。

『白い遠景』

昭和54年 講談社

「「関東大震災」ノート(一)」・「「関東大震災」ノート(二)」収録。本所被服廠跡で大震災を体験した一二九会の会員や、吉原弁天池の惨事に遭遇した芸妓への取材と、流言による社会事件の実状を記した。

『蟹の縦ばい』

昭和54年 毎日新聞社

「薬品と車」収録。「関東大震災」執筆時の参考資料、「震災予防調査会報告」から得た教訓を記す。発火要因として、薬品の落下と、避難時の荷物を挙げ、対策を説く。また、自動車による避難の危険性を記す。

『東京の下町』

昭和60年 文藝春秋

「其ノ十五 説教強盗その他」では、関東大震災を体験した両親の話を記す。父が語る本所被服廠跡の情景や、自警団と遭遇した祖父の経験を記す。また、父親の話と「関東大震災」の執筆で得た火災被害の教訓を語る。

『私の好きな悪い癖』

平成12年 講談社

「『関東大震災』の証言者たち」収録。執筆時の取材で出会った人びとの証言を振り返る。本所被服廠跡については、一二九会の会員を訪ねて取材した。また、吉原公園については芸妓の証言を取材し、執筆した。

『東京の戦争』

平成13年 筑摩書房

「空襲のこと〔後〕」では、夜間空襲が激しくなった頃、必要な物をリュックサックに詰めた吉村に、父親が「なにも持たず、手ぶらで逃げるのだ」と言ったことを綴る。関東大震災では、避難する人びとの荷物に火が付き、被害が甚大になったと記す。

『縁起のいい客』

平成15年 文藝春秋

「被害広げた「大八車」」収録。関東大震災の火災被害と教訓を記す。発火要因として、薬品が落下したこと、家財などの荷物を積んだ大八車が道を塞ぎ、引火したことを記す。江戸時代の大火では、大八車を取り締まった例を挙げ、避難時に自動車の使用は禁物と語る。

『回り灯籠』

平成18年 筑摩書房

「大地震と潜水艦」収録。「関東大震災」執筆時に調査したイギリス人脚本家の手記を引用し、災害時の日本人の「沈着さ」にふれる。同時に連想した伊号第三十三潜水艦の兵員たちの最期の姿を記す。

『歴史を記録する』

平成9年 河出書房新社

対談集。尾崎秀樹との対談「大正の腐敗を一挙に吹き出す 『関東大震災』をめぐって」収録。関東大震災を書くことは「大正時代を書くこと」と語る。日暮里で被災した両親の体験や、証言収集、執筆から得た防災の知見を記す。

『白い道』

平成22年 岩波書店

講演「昭和・戦争・人間」収録。夜間空襲の際に、関東大震災の火災被害を知る父が「何も持たないで早く逃げろ」と指示したことを語る。

津村節子の主な関連作品

吉村と結婚した当初、行商の旅で三陸沿岸を訪ねた体験を題材に短篇を執筆した。また、田野畑村での親交や雄大な自然の魅力、思い出を綴った。吉村没後は、田野畑村で過ごした夫婦の思い出を振り返るとともに、東日本大震災後の思いを記した。

『さい果て』

昭和47年 筑摩書房

芥川賞受賞作「玩具」を含む連作長篇小説。新婚当時、生活のために始めた仕事が不景気のために行き詰まり、東北地方から北海道まで、メリヤス製品を売る行商の旅に出た。石巻から三陸沿岸をたどったこの旅を題材に創作した。

『書斎と茶の間』

昭和51年 毎日新聞社

随筆集。「すいとんとほうとう」「ある村のこと」収録。「すいとんとほうとう」は吉村が「一家の主」を連載中に発表した。「ある村のこと」では、親族と共に田野畑村に滞在した思い出や、自然豊かな村の魅力を綴る。

『みだれ籠』

昭和52年 読売新聞社

随筆集。「北の旅から」では、石巻から三陸沿岸をたどった行商の旅を振り返る。また、「最後の楽園」では、田野畑村で吉村が乳牛のオーナーになったことを記す。久慈市では小久慈焼、盛岡では紫紺染めと茜絞り染め、江刺では民芸家具を取材した旅を綴る。

『風花の街から』

昭和55年 毎日新聞社

「思い出の人」「仙台の個人タクシー」「山形の旅」収録。「思い出の人」では、行商の旅で訪れた石巻の恩人に対する感謝を綴る。また、「山形の旅」では、山形の果物や田野畑村のじゃがいもの美味しさにふれる。色や形の美しさを望む買う側の人間に対し、「うまいものを安く売りたい」という生産者の思いを記す。

『重い歳月』

昭和55年 新潮社

自らの経験を題材に、同人雑誌で文学修行を続ける夫婦の葛藤を描いた長篇小説。作中、主人公は、「夫について流浪して歩いた」と、行商の旅を回想する。

『女の引出し』

昭和59年 文化出版局

随筆集。「わが家のすいとん」「石巻の旅」収録。「石巻の旅」では、新婚当初の旅の出発点だった石巻での思い出を振り返る。恩人への深い感謝と、その家族との親交を綴る。

『もう一つの発見 自分を生きるために

平成3年 海竜社

随筆集。「人と自然が寄り添う村」では、田野畑村との縁や「人と自然を尊重した村おこし」への共感を綴る。また、「自然に生かされ自然を生かす」では、著作「霧棲む里」の舞台、花巻市大迫町や、田野畑村に見られる、自然と人間が豊かに共存した土地の発展について語る。

『合わせ鏡』

平成11年 朝日新聞社

随筆集。「花笑みの村」収録。田野畑村の魅力や、村医を務めた将基面誠氏とその妻の思い出を綴る。「花笑みの村」とは、保健文化賞を受賞した将基面氏が、村に賞金を寄附して設立された「花笑みの村基金」による。

『瑠璃色の石』

平成11年 新潮社

自伝的長篇小説。学習院大学文芸部での吉村との出会いから、夫婦ともに同人雑誌で研鑽を積み、作家として世に出るまでを綴る。結婚後に「私たちは、石巻、釜石、八戸と、商売の旅を続けた」と、行商の旅を描いている。

『似ない者夫婦』

平成15 年 河出書房新社

随筆集。「遍路の便り」収録。田野畑村村医だった将基面誠氏が妻を亡くし、四国八十八箇所の旅から送った絵葉書にふれながら、村民と将基面夫妻の絆について綴る。

『桜遍路』

平成20年 河出書房新社

『人生のぬくもり』

平成25年 河出書房新社

随筆集。後に『人生のぬくもり』と改題。「遍路みち」収録。吉村が逝去した後の思いを綴る。将基面誠氏が四国霊場めぐりをしたことを知り、自らも遍路の旅に出たことや、自宅近くの公園で、亡き吉村の姿を目にした体験を語る。

『ふたり旅―生きてきた証しとして

平成20年 岩波書店

作家人生を振り返った自伝。『津村節子自選作品集』全6巻の巻末に掲載した「私の文学的歩み」に、吉村の死までを書き継ぎ、まとめた。

『遍路みち』

平成22年 講談社

短篇集。川端康成賞受賞作「異郷」ほか、4作品を収録。「声」では、主人公の育子が回想する「メリヤス製品を売る放浪の旅」として、新婚の頃の行商の旅を描いた。

『紅梅』

平成23年 文藝春秋

吉村の1年半にわたる闘病生活と最期の日々を、妻と作家、二つの目で凝視して執筆した。菊池寛賞受賞作。作中、新婚の頃の行商の旅の思い出を描いている。

『夫婦の散歩道』

平成24年 河出書房新社

随筆集。「天災と人災」では、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を人災と捉えて語る。また「三陸の村」では、ゆかりの深い田野畑村の被災状況や三陸鉄道の復旧を案じる思いを記す。

加賀乙彦/津村節子

『愛する伴侶ひとを失って
加賀乙彦と津村節子の対話

平成25年 集英社

対談集。愛する伴侶に先立たれた二人の作家が、苦しい胸の内と、どう乗り越えていくのかを語り合う。吉村が「星への旅」で受賞した第2回太宰治賞授賞式に、次点者として出席していた加賀との出会いにもふれる。

『三陸の海』

平成25年 講談社

東日本大震災の翌年、田野畑村や田老を訪れ、津波による被害を聞き、吉村が愛した三陸の海を見つめた。震災から1年を経た人びとの思いにふれ、夫婦のゆかりの地である三陸への思いを綴った。

『遥かな道』

平成26年 河出書房新社

作家や編集者との対談集。「あとがき」では、「貴重な人生録」と記している。吉村との「<夫婦対談>心ひかれる北国の風景」を収録。新婚の頃の行商の旅の思い出を振り返る。

『果てなき便り』

平成28年 岩波書店

吉村と交わした百余通に及ぶ書簡をまとめた。「旅あきない」では、新婚当初の東北地方から北海道にかけての行商の旅を綴る。この旅によって土地勘があり、東日本大震災の際には、町の名前がすぐに分かったと記す。

『時の名残り』

平成29年 新潮社

随筆集。「二人の出発点」では、行商の旅と吉村の「星への旅」執筆の経緯にふれる。「震災から三年」では、東日本大震災発生から3年を経て、田野畑村や田老に思いを寄せる。「緊張の日」では、自然災害に関する吉村の著作を紹介した日暮里図書館吉村昭コーナーへの天皇陛下行幸について綴った。

『明日への一歩』

平成30年 河出書房新社

「汽車は枯野を―夫・吉村昭の手紙(Ⅱ)」、「物書き同士の旅」、「三・一一を心に刻んで」「今ひとたび三陸へ」収録。「三・一一を心に刻んで」では、吉村が「生きていたら」、「度重なる津波の激浪と戦いながら毅然と生きてきた人々と接するために、やはり三陸沿岸を歩いているだろう」と結ぶ。

【凡例】

「自然災害を取り上げた作品」では、本展の主要作品「三陸海岸大津波」と「関東大震災」を最初に記載した。他は、災害が発生した年代順に、吉村昭の初刊本を記載した。改題本は併記した。

「自然災害を取り上げた作品」以外は、吉村昭と津村節子の著作から、本展と関連する主な作品を収めた初刊本を、刊行年代順に記載した。改題本は併記した。