吉村昭は、荒川区東日暮里に生まれた。
ふるさとをこよなく愛しており、折々に訪ね歩いていた。

吉村の生前、荒川区長西川太一郎氏から吉村昭記念文学館を建てたいという申し入れがあった時に、区民の税金を自分の施設などに使うのは本意ではないと固辞したが、区長の熱意に押され、最終的には図書館のような施設と併設であればと、有難くお受けした。

平成18年に死去したのち、書斎の三方の壁に天井まで設えられている書棚の資料を、荒川区に寄託した。日本全国足を踏み入れない県はないほど取材した夥しい数の資料である。私自身もこれらの資料で、会津戊辰戦争や八丈島の流人などをテーマにした作品を何作か書いている。荒川区の文学館に納めてあれば、なんびとでも利用することが出来る。

吉村の書斎は、徳川家光が鷹狩をした折の休息所があった井の頭御殿山の林に面している。机は資料を置くために長い板を窓の前に設置したもので、その右手脇にカルテ棚を設け、取材ノートや書き上げた原稿を納めていた。自分で設計した机まわりで、机の上には電気スタンド、原稿用紙、文鎮、気に入りの万年筆数本と辞書が置かれており、取材先から帰って来た吉村は、今も作品を書き続けている。

平成29年3月
作家 津村節子