【資料紹介】自筆原稿紹介コーナー 第18回 吉村昭自筆原稿「海も暮れきる」(画像あり)
吉村昭記念文学館では、常設展示室3階に「自筆原稿紹介コーナー」を設けています。
このコーナーでは、作家の自筆原稿(複製)を、近い位置でご覧いただくことができます。
第18回は、吉村昭自筆原稿「海も暮れきる」を紹介します。この作品は、俳人、尾崎放哉が小豆島で過ごした最晩年の8カ月間に焦点を当て、その生と死を描き出した長篇小説です。
下記掲載のPDFで自筆原稿の画像と解説シートをご覧いただけます。
「海も暮れきる」について
「咳をしても一人」などの自由律俳句で広く知られる尾崎放哉(本名、秀雄 明治18年~大正15年)。吉村昭は、長篇小説「海も暮れきる」で、放哉が小豆島で過ごした最晩年の8カ月間に焦点を当て、その生と死を描き出しました。昭和22年(1947年)、旧制学習院高等科に進学した吉村は、俳文学を学び、俳句に親しみました。翌23年、20歳の時に、中学2年で患った肺結核の悪化により、喀血し、絶対安静の身となります。死を強く意識した病床で、自らと同じ病により生涯を終えた放哉の句にふれ、深い共感を覚えました。放哉の句が表す孤独感や、衰弱する体の変化、死に対峙する心情を自分自身のものと感じるほどの衝撃を受けたと述べています。
昭和42年、小豆島を訪れた吉村は、関係者に取材を行い、放哉を支援した小豆島の素封家、井上一二が所蔵する放哉の書簡類を目にしました。吉村は、放哉を書きたいという思いを募らせますが、放哉が死去した年齢を超えなければ、放哉を理解することは難しいと考えました。そして、調査を続けた後、51歳の時に「本」で連載を開始します。執筆にあたり、自らの闘病体験を見つめ直し、その実感を踏まえて、死の直前まで句作を続けた放哉の内面を掘り下げました。



(左)『海も暮れきる』(昭和55年 講談社)
(中)『海も暮れきる』(昭和60年 講談社文庫)
(右)新装版『海も暮れきる』(平成21年 講談社文庫)
展示資料No.18 吉村昭自筆原稿「海も暮れきる」
今回は、原稿の1枚目(複製)を展示します。自筆原稿「海も暮れきる」の資料紹介(画像あり)をご覧いただけます。こちらをクリックしてください。(PDF 1.08 MB)
放哉安住の地~香川県小豆郡土庄町~
(左)小豆島放哉記念館前に建立された吉村昭揮毫の句碑「障子あけて置く海も暮れ切る 放哉」
(右)放哉在庵当時の南郷庵を復元した小豆島尾崎放哉記念館
(左)吉村昭自筆の色紙「海も暮れ切る」 小豆島尾崎放哉記念館蔵
(右)津村節子自筆の色紙「散りかゝる櫻遍路の髪飾り」 小豆島尾崎放哉記念館蔵
*展示期間中、写真パネルで、小豆島尾崎放哉記念館所蔵の尾崎放哉 井上一二宛書簡(大正14年8月24日)と、「海も暮れきる」本文の対応も紹介しています。
展示期間
令和2年8月21日(金曜)から10月14日(水曜)
休館日:9月4日(水曜)、9月17日(木曜)、10月5日(月曜)から10月9日(金曜)まで特別整理休館。
場所
吉村昭記念文学館 3階 常設展示室 自筆原稿紹介コーナー
入場料
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掲載日 令和2年9月20日
更新日 令和2年10月7日
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